2002年夏、ベルリンとイスタンブール

私も組織委員会の一人であるが、8月22−24日ベルリンでエイコサノイド国際会議があり約100名が参加した。直後にトルコで12回プロスタグランディン国際会議があり、そのサテライト学会という意味もあるが、永年、プロスタグランディン研究を続け、学会などを主催してきたSantosh Nigam教授の還暦を祝うという趣旨もあった。Nigam教授の人柄もあり、また、トルコへ行くのは怖いという米国人がこちらへ集合したこともあり、内容的にはレベルの高い学会となった。ベルリンの町は最近ほとんど毎年訪れているが、首都移転に伴い、急ピッチで建設が進んでいる。変わらないのはウイルヘルム・カイザー教会 (写真1)、第二次大戦で連合国の爆撃を受けた記念物)、そして大きく変化(?)したのが、4年後のワールドカップを意識したブランデンブルグ門 (写真2) である。夕食会では、ニイガム博士と共に山本尚三教授がプロスタノイド研究の永年の功績をたたえられ、記念品を受け取った。

25日にベルリンから約3時間、イスタンブールへ到着した。イスタンブールはアジアとヨーロッパの文明の接点であり、宿泊したホテルからはボスポラス海峡がよく見えた (写真7)。第12回国際プロスタグランディン学会は約250名という少ない参加者でしかも米国人の多くが来なかったため、多少盛り上がりに欠けたが、教室の連中は清水(基調講演)、石井聡と飯塚佳子 (写真8) が口演し、また、奥野、大島、平林がポスター発表 (写真9, 10, 11) した。学会には久しぶりにユタ大学のプレスコット博士が現れ、Cox-2の転写後調節とガンについて講演した (写真13)。学会の後は、ボートでボスポラス海峡を黒海の方向へ進み、アジアサイドにわたったり、旧市街のモスク、グランドバザールなどを訪ね、また、おいしいお魚料理を満喫した。なお、私が7名分の夕食をご馳走した (写真12) が、この料金が5億リラ(!、日本円で4万円くらい)。2000万リラという紙幣もあり、ゼロを数えるのに苦労した。噂通り、イスタンブールは美しい町で、また、親日的な国民であった。

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写真1 ベルリン中心街のクツダム通りのシンボルであるウイルヘルム・カイザー教会 写真2 ワールドカップをかたどったブランデブルグ門に過去の悲劇の影は見えない。 写真3 Robert Murphy教授(デンバー)の講演。彼は東大医学部に新設されたメタボローム講座の客員教授に決定した。
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写真4 ベルリン学会はニイガム教授(左)、サーハン教授(右、ハーバード大)と清水の共催であった。 写真5 日本人の参加者も目立った。武藤教授と成宮教授(京大)。 写真6 主賓席(後左から)清水、デニス夫妻、Hugh-Fulford教授、
(前)ニイガム教授夫人(Renate)、山本教授、ニイガム教授、チャーリー
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写真7 清水のホテルの部屋より眺めるボスポラス海峡とドルマバフチェ宮殿(新市街) 写真8 二度目の国際学会口演となった飯塚 写真9 ミクログリアについて発表する平林
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写真10 ロイコトリエン受容体C末端の意義を説明する奥野 写真11 マイペースの大島 写真12 スイスオテル(清水滞在)の屋上でトルコワインをたくさん飲む。
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写真13 Prescott博士は久しぶりに登場 写真14 旧市街のアヤソフィア(二つの宗教の桎梏を示す象徴的モスク) 写真15 アヤソフィアの中の涙の柱に指を入れて願い事をする飯塚。(子沢山の願いを叶えてくれるという、もちろん、マウスのこども)
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写真16 ボスポラス海峡を黒海方面へ向かう船の中ではしゃぐ石井と松本 写真17 これが旧市街と新市街を結ぶガラタ橋、中央がガラタ塔 写真18 海峡からみたドルマバフチェ宮殿、その向こうに見えるのが学会会場のスイスオテル
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写真19 ボスポラス大橋、アジアとヨーロッパをつなぐ橋 写真20 有名な地下宮殿(ビザンチン時代から貯水場)、007の舞台ともなった。5世紀の建物で4メートルおきに柱が立つ。 写真21 メドューサの首、これの由来、時代には諸説がある。
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写真22 非常に美しいブルーモスクの内部。典型的なイスラム寺院(17世紀建造、今で観光地と言うよりは宗教儀式の場所) 写真23 ブルーモスクで早速話し相手を作った飯塚、松本


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