近況(1998年7月23日〜10月19日)


Dr. Piomelli (UCI)来訪(1998年10月19日)

(Piomelliに説明する魚住(PD)と北(D1))               (セミナーの司会をする川澤(D2))

色々マスコミ的には騒々しい学会だったが、生化学会は「無事」に終わった。サイエンスは充実していた。どこの会場も満員が多かった。生理学、分子生物学、薬理など普段あまり参加しない講師がかなり多く参加したためだ思う。まるで米国のFASEB等の合同年会に出ているようだった。今日は、カンナビノイド(マリファナ)受容体で著名なDaniele Piomelli (UC Irvine準教授)が来訪し、セミナーをした。生化学会に参加した帰りに立ち寄ったのである。薬理学的な話は多少わかりにくいところもあるが、CB3の受容体を示唆したり、また、ドーパミン刺激でアナンダミドが放出され、運動性の亢進にむしろ拮抗作用をするなど、興味ある発表があった。例によって、外から講師が来たら、順番に仕事を説明する事になっている。自分の仕事を人前でポイントをおさえて、英語で発表する練習である。その後のセミナーの司会も大学院生にやってもらう。新鮮でおもしろいが、講師の中には型破りの紹介にとまどう人もいるようだ。Dr. Piomelliは結局、2時から7時半までしゃべり続けたことになる。


愛車を駆って美しの森へ(1998年10月3日)

 

(野辺山遠景)                 (美しの森より横岳)

久しぶりに日本が秋晴れの好天に恵まれた週末、愛車のパサートで中央高速を走った。意外と道は空いていて、荻窪の自宅から2時間弱で美しの森へ到着。さて、美しの森からは南アルプスも一望でき、八ヶ岳の横岳がよく見えた。さらに、羽衣池から天女山まで約2時間のペースで歩き、今年の冬はのぼるぞ、と言い聞かせて、ここから下った。後はお定まりのコースだが、北澤美術館でコーヒを飲み、ゆっくりと東京へ戻った。つかの間のゆとり気分で、すっかり新鮮な空気を吸ってきた。ところで、この愛車は昨年末、小型ボルボと最後まで迷ったあげく買ったもので、VW車にしては作りが上質で、しかもサイドエアバックなど安全装備がよく、着座位置が低く、ホンダ車を乗り継いで来た感覚にあったのが決めてとなった。高速巡航は快適で、ハンドリングなど素晴らしいがやや室内音がうるさい。お気に入りのカーペンターズの曲もボリュームを上げないと聞こえにくい等の難点もある。やっと5000キロを越えたところで、エンジンの調子はすこぶる良い。ちなみに、この日曜ドライブ400kmでの燃費は12 km/lであった。


第6回国際PAF学会終わる(1998年9月25日)

(斉藤さんと山本さん)                  (LIS遺伝子欠損の脳 )


98年9月21日より24日まで、ニューオーリンズで第6回国際PAF学会が開催された。のべ150人もの参加があり、予想以上に盛会であった。生化学教室からは清水が基調講演をしたほか、和泉助教授、石井聡、斉藤、相原がそれぞれ口演をし、さらに、大学院生の山本、星野がポスター発表をした(写真参照)。PAFを初めとする脂質ディエーターでは、日本の研究グループが確実にリードしているようだ。このほか、興味のある発表としては、細胞内PAF受容体の存在を示唆するデータが出されたこと、組み換えPAFアセチルヒドロラーゼの臨床応用が開始(壊死性腸炎、気管支喘息、ARDSなど)されたことなどがあげられる。弘前大の佐藤らが報告しているように、日本人の4%が本酵素を欠損しており、酵素と種々の疾患の関連に興味が集まった。さらに、東大薬学の井上、新井、青木らにより細胞内アセチルヒドロラーゼの精力的な研究が報告された。ところで、このアセチルヒドロラーゼのβサブユニットを欠損したマウスが作られ(NIH, Weizmann Institute)、ホモマウスは致死、ヘテロも脳の発達異常が認められ、Miller-Dieker症候群(写真)とPAFとの関係が一層注目された。次回、第7回国際PAF学会は東京で、和久敬蔵先生(帝京大薬学)が主催されることとなった。


Dr. William Lands来訪(1998年9月9日)

 (Dr. Landsと和久先生)                 (仕事の説明をする加藤君)

Lands' cycleで有名なDr. Bill Landsが帝京大学薬学部の和久敬蔵先生と共に研究室を訪れた。Billは今から8年前にNIHに移り、現在はAlcholism and Drug Abuseの部門のScientific Adviserをしている。Billと会うのは10数年ぶりだが、当時とほとんど変わらず、優しい眼差しで、しかし、ナイーブな厳しい質問やコメントを次々に浴びせかける。曰く、「今はアメリカでは若手の研究者の方がより保守的だ。日本ではどうだ」「酵素が核膜へ移るというのなら、高速トンネルがあるのではないか。核内で何をしているか、調べているか」「ω3の脂肪酸を欠損させると、そのままではほとんど症状は出ないが、脱水にすると皮膚の保水力が見る見る落ちる。ノックアウトマウスの表現形も同じで、重要なのはどの様なストレスをかけるかだよ」「日本人は昔と変わらず相変わらずシャイだ。おまえは典型的な日本人ではない」(図々しいということかな?)。ちなみに彼は、Lands' cycleの他にプロスタグランディンDの発見、シクロオキシゲナーゼの最初の精製、そしてEPAの栄養的価値の発見などエポックメイキングな仕事を次々にしてきた人である。彼はおもちゃを与えられた子供のように討論を楽しみ、そして相手を知的に挑発していく。好奇心こそが研究の原動力であることを身をもって示している人である。


鳩ノ巣合宿(1998年8月20日)

(鳩ノ巣合宿)

うちの教室にも大学院生が随分増えてきた。当然のことながら、医学部以外の修士を修了した人も増えてきている。大学院1,2年の学生を中心に、生理学、解剖学、病気のことを勉強したいという声が強くなり、この4月より「医科生理学展望」の輪読会を毎週土曜日にやっている。私はチューターとして参加しているが、自分自身の勉強にも随分役立っている。夏休みに合宿をして、もっと勉強しよう、という声が自然に出て、今回の鳩ノ巣合宿となった。安い国民宿舎を見つけて、一日目は午後1時から夜中の2時まで、二日目は9時から正午までと、みっちり「内分泌」の章を勉強した。この様なゼミ合宿は94年の8月の鬼怒川合宿以来である。前回はトップダウンやったもので不満を漏らす人もいたが、今回は学生の自発意志であるところが全く違っていた。ところで、この「医科生理学展望」18版、新しい内容にあふれていて良書なのだが、和訳はかなりひどい。誤訳は多いし、日本語として読みにくい。訳者の先生方はちゃんと校正しているのかしらん。増刷ではしっかり訂正がなされることを希望している。ちなみに、ロイコトリエンの構造も違っていた。



熱い夏(東医体バドミントン競技)(1998年8月11日)


(清末を見る観衆)

昨日、赤トンボが飛んでいた。今年は山にも行けないうちに秋が来たようだ。冷夏だったが葛飾区の体育館で行われた東医体(東日本医科学生総合体育大会)のバドミントン競技は本当に熱かった。私が部長をしている東大が主管校であるための参加であったが、千人近い学生の戦いを十分楽しむことが出来た。東大は札幌医大、旭川などのシード校を次々と破り、史上初の決勝進出となった。優勝した東北大との力の差は歴然としていたが、その健闘は大いに讃えられる。熱戦の末、破れ、タオルで顔を隠していたが、彼らは輝いていた。バトミントン競技は、ゲームそのものが、相当にハードな競技で、その上、個人戦、団体戦がほぼ並行して行われる。体育館は無風状態で空調もなく、蒸れるような暑さの中にシャトルの音が響き、割合えげつなく歓声がとどろくのである。この競技では並外れた体力、知力、精神力など全てが必要とされるようだ。若者たちの熱い心に少し触れたような気がして、私の夏は終わった。そして、今年のプロ野球も終わった。


宮部みゆきと藤沢周平(1998年7月23日)


(元安川と原爆ドーム)

6月ー7月にかけて、出張が多かった(広島、名古屋、大阪、札幌)。今月末には弘前にも行く。これだけセミナーの依頼が多かったのも、教室員の人が昨年大きな仕事をたくさんしたせいだと思う。ありがたいことだが、多少疲れた。しかし、出張が多いと、普段なかなか持てない読書時間が増える。
最近読んだ本:宮部みゆき 「理由」;藤沢周平 「消えた女」「蝉しぐれ」。この二人の作品は情感もプロットもよく似ている様に思っていたら、先日、宮部みゆきがある座談会で「どの様にしたら、藤沢さんのように老いを迎えられるか」と言っていた。藤沢周平は昨年乱読した。私の友人に薦められたのがきっかけで、例の4部作(用心棒日月抄、孤剣、刺客、凶刃)を一気に読んでしまった。佐知の様な女性に憧れた。男の身勝手さね、と誰かにたしなめられた。こういう本を好きになるというのは、当然のことながら、自分も立派な中年だ。ついでに言うと、宮部の「理由」は良い作品だが、いかにも朝日の連載と言う感じで、色々な社会問題を詰め込みすぎていた。同じ社会ものでも「火車」の方がおもしろかった。

(文・写真共に清水孝雄)


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