近況(1998年11月10日〜1999年4月9日)

キーストンシンポジウムに参加(1999年4月9日)

(Keynote Address)                    (Breakfast)

(Poster session)                   (Hanaka With Peters-Golden)

4月1日ー6日 コロラド州キーストンでlipid mediators: Recent advances in the Understanding of Molecular Biology, Biochemistry and Pharmacologyが開催された。清水は好運にもKeynote Address (基調講演)の役を仰せつかり、開催1日目に「ロイコトリエンの合成と受容体」に関して、約1時間の講演を行った。キーストンシンポはGorden Conference, FASEB Conferenceと並んで、第一線の研究者が「未発表のデータ」を示すことで、お互いに刺激あうのが目標の会議で少人数(100名程度)で開かれる。今回の収穫はなんと言っても、メルクグループ(Jilly Evans)によるロイコトリエンD4受容体クローニングと塩野義花崎及びランボーによる新しいタイプの分泌型ホスホリパーゼA2の発見につきる。生化学教室の中谷、花香、増田の3名はそれぞれの仕事をポスターで発表した。ちなみに、キーストンは標高3千メートルで、酸素が希薄で、階段を上るのも息が切れる始末で、また、数日間は頭痛を訴える人が多かった。多くの人間がスキーを楽しむ中、清水は静かな昼間の時間を利用して、「パレスチナから来た少女」(大石直紀)と「白い夏の墓標」(帚木蓬生)をじっくり読んだ。


ストラースブール訪問(1999年2月17日)

(審査会の様子)                      (Petit Franceで)

(森樹郎一家)

昨年からHuman Frontier Science Program (HFSP)のMolecular Approachの審査委員の任を果たしており、2月の第一週にフランスのストラースブールを訪れている。会議はほぼ3日間、朝8時半から夜まで続き、ここで、応募総数300を越えるグラントの中から、25件程度が選ばれる激戦である。8カ国(日、英、仏、独、加、米、伊、瑞西)とEUから、各2名ずつの委員が選ばれ合計18名で討論をし、採点し、その合計点から上位を選ぶ。応募者は自分がどの程度のランクにあったかをフィードバックされる。この仕組みは米国のNIHグラントなどと同じと思われるが、日本でも是非採用したいフェアな審査方式である。毎年、約十億円が配分されるが、その7割は日本が分担しており、プログラムのステータスも非常に高い。日本がしている数少ない国際貢献の一つだと思う。ところで、ストラースブールはアルザス地方の美しい小都市で、ドナウの源流があるという黒い森にも近く、また、スイスやオーストラリアの国境にも近い。ルイパスツール大学があることから、学生や学者が多く治安も良い。毎年、4泊5日の短い旅だが、我々の教室の同窓生であり、ルイパスツール大学Chambon研に留学中の森樹郎ご一家を訪問したときの写真である。


花の41年入学ドイツ語クラス(1999年1月26日)

(奇妙な4人組)
(左からJT・中馬、東大農・大久保、帝京大内科・寺本、東大医・清水)

昭和41年に東大に入学し、理科2ー3類8組というドイツ語クラスで一緒に青春を過ごした4人組がいる。信州の山小屋で静かにアルバイトをしているとギターを持って押し掛けてくるのがこのメンバーだった。デモと看板書きに明け暮れたり、ジャズバンドを組織したり、雀荘で一日過ごしたり、新車(当時はパブリカ)を乗り回すシティーボーイになったり、それぞれが青春を謳歌していた。時はベトナム戦争のさなか、また、大学紛争の前夜であり、時代の不安感が若者を襲い、やがて来る偽の列島改造とバブルは人々の心をむしばんだ。テロリストだけにはならなかったが、自分の将来を計算できる者など誰もいなかった。奇妙な友情が続いたのは、お互いの違いを認識したせいかも知れない。共通点は全員がスキー好きだったことだけだった。鬢に白いものが目立つようになった4人は、健康の不安を抱え、子供の将来を憂い、また、職場でのストレスを抱えて、年に1度以上こうして集まっている。そこで、時間の経つのも忘れて、小説や映画について、ゴルフの功罪について、日本の将来について、大学の民営化について、医療制度や薬について、ドイツ車について、と、相も変わらぬ青い議論が続くのである。


生化学会近畿支部会と神戸ルミナリエ(1998年12月20日)

(神戸ルミナリエ)                     (成宮教授と清水)

12月12日神戸大学で、生化学会の近畿支部会が開催され(山村博平教授主催)、「脂質メディエーター」に関する色々な知見が報告された。ホスホリパーゼ、プロスタグランディン、PAF、PI3キナーゼ、プロテインキナーゼCなど、次々と新しい研究成果が発表され、この分野では日本が確実に世界をリードしていることを印象づけられるような有意義なシンポジウムであった。シンポジウムには神戸大学学長の西塚泰美先生も参加し、鋭い質問を寄せておられた。西塚先生の「神戸に来たら一度は行った方が良い」とのお勧めもあり、神戸大学生理の片岡徹教授のご案内で、三ノ宮駅付近の「ルミナリエ」に出かけた。京都大学薬理の成宮周教授も同行された。震災後から始まったというこの光の祭典、何でもイタリア人のデザイナーが加わり、彼らでなくては出せない色を出しているそうだ。まぶしく美しくライトアップされた数百メートルの商店街は大変な人出で(期間中に400万人が見物するという)で、押すな押すなの中で、陽気な関西人のエネルギーには圧倒されるばかりであった。東京人にはこの活力はないな。東京に震災が来たら、、、こうは行かないな、と思わず考え込んでしまった。


晩秋の北欧(1998年11月28日)

   

(Goodies右からColin Funk, Pierre Borgeat, Bob Murphy, Maria Kumulin,Charles Serhan)          (夕焼けLappoport)               

   

(Lapport/Xmas)                     (駅まで見送り)

カロリンスカ研究所でノーベルフォーラムが開かれた。今年の主題は「喘息」で、私も招待講演をした。気管支喘息は今や人口の10%を越え、一部の国では30%近くが罹患しているという。大きな問題である。ロイコトリエンはその中でも最も重要なメディエーターの一つであり、この合成、受容体、代謝などが熱心に議論された。特に、5−リポキシゲナーゼやロイコトリエンC合成酵素の遺伝子多様性と気管支喘息との関係が明らかになったのは大きい発見であった。この分野では、最近のLancetにロイコトリエンC合成酵素の欠損が知能発達を引き起こす例が発表されたり、我々がクローニングしたロイコトリエンB4受容体がHIVのcoreceptorである可能性が報告されるなど、話題が豊富であるが、まだ、必ずしも信用されているわけではない。ところで、学会も終わった週末、北極圏のある村を訪れた。しんしんと雪が降り積もり、気温はー20度にも達する極寒の地で感じたものは、美しい自然に悠久と流れる時間だった。氷河の切り刻んだU字峡はわずかな時間のぼる太陽に染められて、その数時間後には吹雪と白い闇が訪れた。幻想の風景の中で、私を見送りする老夫婦がいた。


米国南東部脂質研究会に参加(1998年11月10日)

(会場裏のRockie Mt.)                (紅葉のGreat Smoky Mt.)

(Hampton Inn)                      (Gabor)

98年11月4日〜6日まで、ノースカロライナ州のCashiersという村で、脂質研究会が開催された(33回会長 Dr. Gabor Tigyi)。会場はアトランタから車で3時間、Great Smoky Mountainsの中腹にある山小屋Hampton Innで行われた。Duke, Wake Forest, Tennessee, Emory, Oak Ridgeと脂質の研究で有名な大学がひしめくこの地域はさしずめ、米国の脂質研究の発祥の地とも言えよう。若手研究者が100人程度参加し、口演とポスター発表すると共に、毎年、二人のゲストスピーカーが選ばれる。今年はSarah Spiegel (Georgetown University)と私の二人が、それぞれ1時間の講演を行った。Dr. Spiegelの講演タイトルは"Sphingosine-1-phophate(S-1-P)-signaling inside and out"であり、sphingosine kinaseを64万倍精製し、クローニングしたこと、また、S-1-Pが細胞内ではraf kinaseを活性化し、また、細胞外では一連のEdg-family receptors (GPCR)を活性化し、細胞の増殖と反アポトーシスに働くことを示した。スフィンゴミエリンから作られるセラミドと、その代謝産物であるS-1-Pが正反対の作用を営むとしたら、この二つの分子を調節するキナーゼの役割は実に大きいこととる。S-1-Pもまたdual receptorを持つのだろうか。脂質生化学がポストゲノムの時代の主役の一つになるのは間違いなく、会場の活気がそれを示していた。

(文・写真共に清水孝雄)


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